まるで蜂の気持ちになれたようで癒された
熊本県宇土半島の先端、三角町(みすみまち)で〈共生環境〉を目指す『江口農園』の無農薬果樹栽培は、今から40年前に父の浩一さんの代から始まりました。江口健さんは2011年に子供を授かったことを機に妻の優子さんと共に故郷に帰り、それからの12年間、環境にインパクトを与えないよう気を配りながら、父の育てた果樹園を守り、今では15種以上の柑橘、ブルーベリー、杏、しょうが、梅、柿などを育て、五人の子供達と暮らしています。


収穫される果実以外にも、農園にはそれぞれの季節で自然の恵みを感じられます。一昨年の5月半ばのこと、果樹園には柑橘の花〈ネロリ〉が咲き乱れていました。世の中は先の見えないコロナ禍で暗くおし潰されそうな空気に満ちていました。そんななか畑は、開いた花の香りが満ち溢れて蜂が飛び回り、春の悦びに溢れていました。「その中に埋もれながら花を摘んで集める作業は、癒しと感謝と瞑想の尊い時間で、まるで蜂の気持ちになれたようで癒された」という健さんですが、「農業が目的ではない」と言います。
「ここで暮らしながらここで子供を育てて、ここが良くなっていけばいいな、というところがまずあります。そのために自分が何をしていけば良いか、と考えたら、それが農業という仕事だったという感じ。これからは関わってくれる人たちと共に、共生できる環境を目指しながら未来へ繋がる〈丘〉を作っていくこと。それがしたいこと」

個性的で本物の果実の味を、みんなに愛されるようなお菓子として
農薬や化学肥料などを使わずに育った江口農園の果実はどれも不揃いで、酸味も甘さもほろ苦さも少しずつ違います。「この個性的で本物の果実の味を、みんなに愛されるようなお菓子として提供したい」と、優子さんは2022年の4月、マフィンや加工品の直売店『STRANGE FRUITS』をオープンさせました。音楽好きな江口家ならではのネーミングです。

マフィンの材料は、菊池産減農薬栽培の地粉、奄美大島の素焚糖、小国のジャージー牛のミルクなどを選びました。フィリングには農園で採れた季節の果物や、無農薬栽培の茶葉など、できるだけオーガニックな素材が使われます。加えて優子さんは、原材料に無農薬栽培ゆえのB品を活かして使います。「どうしても無農薬栽培だとB品が多く出てしまい、残念ながら青果として販売するには難しい」といいます。そのため、落ちた実は拾い、痛みや傷はひたすら丁寧に取り除き、細かく刻んで糖を浸透し、ピールやジャムなどに加工してマフィンや加工品の材料として使います。こうして果実は、廃棄されるどころか新たな価値として生まれ変わります。


看板商品でもある「スパイシー・ジンジャーシロップ」は、暮らしの中で家族のために作ったことがきっかけでした。原料は、無農薬・無肥料自家栽培された生姜、スパイス、粗精糖、黒糖、そして無農薬レモンです。香り高く煮込まれます。「父が育て繋いできた果樹を夫が丹精込めて育て、実りを家族みんなで喜び合い、子供たちも一緒に摘んで、それを使ってお菓子が焼ける。日々、幸せを噛み締めています」
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白木 世志一